東証再編で明らかになる企業の力量!成長戦略と資本政策の現在地

日清食品ホールディングス

2022年4月に始まった東京証券取引所(以下、東証)の市場再編は、上場企業に対して資本効率やガバナンス体制の再構築を促す契機となりました。
 特にプライム市場の上場要件である「流通株式比率35%以上」や「上場会社としての企業内容等の開示の充実」は、企業のIR姿勢や資本政策を可視化する側面も持ち合わせています。

本記事では、東証再編が企業経営に与えた影響を概観し、IR資料や決算説明会などの公開情報をもとに、8社の対応事例を通じて各社の企業体力の現状を分析します。

東証再編とは何か?企業に突きつけられた新たな基準

東証の再編により、従来の市場第一部・第二部・マザーズ・JASDAQといった市場区分は、プライム・スタンダード・グロースの3つに整理されました。
 中でもプライム市場は、より厳格なガバナンス基準や情報開示が求められる上場区分です。

この再編は、資本市場の信頼性向上と中長期的な企業価値の向上を目的としており、企業には形式要件を満たすだけでなく、実質的な対応が問われています。
具体的には、ガバナンス体制の整備、資本効率の改善、そして中長期的な成長戦略の明示といった“構造改革”が求められることになりました。

IRから読み解く企業の対応姿勢―3つの視点

東証の市場再編は、投資家が企業の力量を測る上で重視すべき点をより明確にしました。
以下の3点は、企業価値向上への取り組み度合いを見極める上で重要な分析視点となります。

資本効率と株主還元: 自社の資本コストを上回る収益を上げているか、ROE(自己資本利益率)やPBR(株価純資産倍率)が適切な水準にあるか
 ・ガバナンス体制: 経営に対する監督機能が有効に働くガバナンス体制が構築されているか
成長戦略の明確さと実行力: 中長期的な成長ビジョンが明確であり、その実現に向けた戦略と計画に説得力があるか

これらの軸で企業の現状を評価すると、東証再編を機に経営改革を進めた企業ほど、市場から評価される傾向が見られます。

一方、対応が十分でない企業は、株価のパフォーマンスにおいても差が見られるケースがあり、投資家による選別が進んでいる状況です。
日本の資本市場において、成長戦略と資本政策の両方を磨き上げることが、企業の真価を示す上で重要になっており、その動向が注目されます。

企業別に見る東証再編への対応【注目8社】

ここからは、この再編に各社がどう向き合っているのか、注目すべき8社の事例を取り上げます。
選定した企業は業種や規模も様々であり、再編への対応も一様ではありません。
それぞれの取り組みからは、各社固有の事業特性や経営課題が色濃く反映されていることがうかがえます。

株式会社アバントグループ(3836)

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アバントグループは、連結会計システム「DIVA」などを提供する情報サービス企業です。

同社は2024年2月に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を発表し、自社の株価指標に関する詳細な分析を開示しました。
この動きは、東証再編以降、上場企業に強く求められるようになった資本効率改善や株主との対話強化の流れに沿ったものと考えられます。

分析によると、同社のPBRは平均約5.7倍と市場平均を大きく上回り、ROEも株主資本コストを上回っています。
 一方で、安定収益が評価される傾向にある他のSaaS企業と比較して、PERが相対的に低い水準にあることを課題として認識しています。

今後は、収益構造におけるソフトウェア収益比率を高めることで、株式市場での評価向上を目指す方針を示しています。
また、投資家との対話の内容も積極的に開示するなど、資本市場を意識した経営への取り組みを進めています。

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株式会社ワコールホールディングス(3591)

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下着メーカー大手のワコールホールディングスは、2023年3月期および2024年3月期において、2期連続で営業赤字を計上するなど厳しい経営状況にありました。

これを打開し再成長するため、2023年11月に新たな中期経営計画を発表し、構造改革策を打ち出しています。
東証がPBR1倍割れ企業への改善策開示を要請する中、同計画では資産の圧縮を進めるアセットライト戦略により、具体的な売却対象とそれによって創出される資金額を明示し、PBR向上策として具体的に示しています。

さらに、資本効率を高めるためのガバナンス強化の一環として、ROIC(投下資本利益率)経営の導入を表明しました。
経営陣へのROIC連動報酬の導入や社内勉強会の実施などを通じて、資本コストを強く意識した経営への転換を図っています。
 これらの取り組みは市場からも一定の評価を得ており、企業価値向上に向けた同社の姿勢を示すものとなっています。

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ANYCOLOR株式会社(5032)

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ANYCOLORは、バーチャルYouTuber(VTuber)事業「にじさんじ」を展開するエンターテイメント企業です。

同社は2022年6月に東証グロース市場へ上場した後、わずか半年でプライム市場への市場区分変更を申請し、2023年6月にプライム市場へ鞍替えしました。 経営陣は、プライム市場への移行理由を「社会的信用力や知名度の向上を図り、企業価値の更なる向上を実現していくため」と説明しています。

上場後の好調な業績と高い時価総額を背景に、プライム市場への早期移行を実現しました。
これは、東証再編によって設けられた新たな市場区分を活用し、成長企業がさらなるステップアップと企業価値向上を目指す事例の一つと見ることができます。

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日清食品ホールディングス株式会社(2897)

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インスタント食品大手の日清食品ホールディングスは、東証再編以前から資本政策の見直しに積極的な企業の一つです。

同社は、「中期経営計画2020」において、2020年度に時価総額1兆円達成という目標を掲げ、実際に2020年6月末にこれを達成しました。
さらに最新のIR資料では、2030年度までに時価総額2兆円を目指すという新たな目標を設定しています。

その達成のため、本業での収益力向上と資本市場での評価向上、双方の観点からKPIを設定し、事業成長と株主還元の両面から企業価値を高める取り組みを具体的に示しています。
 このような戦略は、東証再編で重視されるようになった「持続的な企業価値向上」の考え方を先取りして実践する取り組みと評価できます。

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株式会社三井住友フィナンシャルグループ(8316)

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メガバンクグループ各社は、東証再編以降、長年の課題であったPBR1倍割れの解消に向けた取り組みを本格化させています。

三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)では、東証からの改善要請なども背景に、PBR1倍達成を目標とする改善ロードマップを策定しました。
2023年4月に開始した新たな3カ年の中期経営計画では、ROE(自己資本利益率)を当時の6.5%から8%へ引き上げる数値目標を掲げるなど、収益力強化と資本効率改善を目指す各種施策を打ち出しています。

こうした明確な目標設定と具体的な施策の提示は、投資家との対話促進にも繋がり、企業価値向上を目指す姿勢を示すものと考えられます。

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三井不動産株式会社(8801)

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大手不動産デベロッパーである三井不動産は、保有資産に対して株価が割安とされる状況(低PBR)が長年指摘されてきました。

東証再編による資本効率改善への要請が高まる中、同社は2023年に、有力株主からの提言なども踏まえ、新たな資本政策として大規模な自己株式取得に踏み切りました。
具体的には、ROE10%以上(2023年3月期実績は7.9%)の達成を目指す方策の一つとして、約2,800億円規模の自己株式取得を行う方針を発表しました。 市場はこの発表を好感し、株価は上昇しました。

大規模な株主還元と具体的な収益性目標を示すことで資本市場からの評価向上に繋がった事例であり、東証再編を一つの契機として、長年の課題であった低ROE・低PBRの改善に本格的に乗り出した動きと捉えられます。

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トヨタ紡織株式会社(3116)

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トヨタ紡織は、トヨタグループの自動車内装部品メーカーです。

同社は、東証再編に伴い新設されたプライム市場への上場基準を満たすため、主要株主であるトヨタ自動車に対して保有株の一部売却を要請しました。
この株式売却によって、プライム市場の上場基準である流通株式比率35%以上を満たす見込みです。

これにより、株式の流動性向上と企業としての信用力強化を図っています。
プライム市場の上場基準充足という具体的な行動を通じて、認知度向上とさらなる企業価値向上を目指す戦略です。

トーカロ株式会社(3433)

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トーカロは、溶射技術で国内トップシェアを持つ表面処理加工会社です。

同社は2024年3月に、自社の資本収益性と市場評価に関する現状分析を公表し、今後の改善策を示しました。
これは、東証再編以降、企業に対して資本コストや株価を意識した経営の実践がより強く求められるようになった流れを反映した動きと言えます。

分析によると、直近9年間のROEは概ね株主資本コスト(8〜10%程度)を上回り、PBRも安定的に1倍超を維持しています。
しかしながら、利益の積み上げによる自己資本の増加に伴い、ここ数年はROEが自社目標の15%を下回る状況にあると分析しています。

このため今後は、設備投資や新事業開発による収益力強化や、必要に応じて余剰資本の株主還元を行うなど、積極的な施策を通じて資本効率の向上を図り、ROE15%の安定的な達成を目指す方針を示しています。

再編に「遅れた」企業の特徴と課題

東証再編の要件に、すぐには適合できなかった企業も少なくありません。
特に、流通株式比率やガバナンス体制といった形式的な基準を満たせず、「上場維持基準の適合に向けた計画書」の提出を余儀なくされた場合、対応の遅れが市場からの信頼低下につながる可能性も指摘されます。
これらの企業においては、資本政策の不透明さ、ガバナンス改革に対する姿勢、あるいは具体的な成長戦略が十分に示されていない、といった点が課題として見られる場合があります。

一方で、再編を契機に、中期経営計画を具体的に見直し、組織改革や成長分野への投資に取り組む動きも一部の企業で見られます。
重要なのは、これらの対応が形式基準の充足に留まらず、投資家との対話を通じて実効性を伴うものとして認識されることです。

市場は、企業が対応策を講じているかどうかという点に加え、その具体的な内容や実行の速度にも注目しています。
そのため、当初の対応が遅れたとされる企業であっても、今後の取り組み内容とその進捗次第では、市場からの評価を改善できる可能性があります。

東証再編は終わらない—選ばれる企業であるために

市場再編は、市場区分の変更手続きが完了したことで一段落したように見えますが、実質的には“再編後のフェーズ”が重要であると考えられます。

プライム市場に上場を維持している企業に対しても、単に上場維持基準を満たすだけでなく、「企業価値の持続的な向上」が引き続き求められており、資本市場との一定の緊張感を持った関係性は今後も続くと考えられます。

東証は2023年以降も、PBR1倍割れの企業に対する改善策の開示要請や、適時開示ルールの見直しなどを通じて、企業行動に対して継続的に変革を促しています。
 これは、市場が単なる制度対応ではなく、企業の戦略やガバナンスが形式だけでなく実質を伴っているかを問う段階に入ったことを示唆しています。

今後、市場から「選ばれる企業」として評価されるためには、資本効率やガバナンス体制の強化にとどまらず、自社の成長戦略を市場に対して説得力を持って説明できるかが、より重要になります。
IR資料や説明会などを通じた情報発信力、株主との建設的な対話を行う姿勢、そして策定した計画と実際の業績との整合性などが、これまで以上に厳しく評価される時代になっています。